2022年12月31日土曜日

2023年1月1日 主日元旦礼拝

招詞 イザヤ書44章3節
賛美 新生讃美歌 21番 栄光と賛美を
主の祈り
祈りの時
献金祈祷
聖書  エフェソの信徒への手紙1章3~14節
祈祷
宣教  「神の溢れる恵み」
https://youtu.be/8Snon_ikfM4
祈祷
賛美  新生讃美歌 301番 いかなる恵みぞ
頌栄  新生讃美歌 671番
祝祷


新しい年(2023年)の始めの日、1月1日を主の日(日曜日)の礼拝によって始めることができる恵みを私は大変嬉しく思います。
 新年には私たちは通常「あけまして、おめでとうございます」と挨拶をいたします。
しかし、私たちの世界ではいまだに続く戦争や、不安定な(あるいは強権的な)政治体制、または甚大な自然災害による被害などによって、平安のうちに安定した生活を送ることが出来ない人々が本当に数多くおられます。
私たちの身の回りでも、また教会の皆さんの中にも、色々な事情による大変困難な状況に向き合っておられる方もいらっしゃると私は思います。
過去の新年の時にも何度か申し上げたかもしれませんが、「新年あけましておめでとう」と挨拶することが躊躇(ためら)われるような状況が私たちの社会と世界では長らく続いています。

しかし私たちは、私たちの周りの状況とか、私たち自身の思いや感情を超えた、ある確かなものに基づいて「新年おめでとう」と今年も言うことができます。
それは、私たちに与えられた“神の恵み”です。
変わらぬ神の恵み、神の確かな恵みに基づいて、私たちは今年もまた「新年あけましておめでとう」と言いたいと思います。
“私たちの主なる神が、新しい年をまた私たちに与えてくださった”と私たちが信じるのならば、新しい年を私たちは喜びをもって迎えることができるのです。それは神の賜物であるからです。
先日のイヴ・礼拝の中で、また教会ニュースレターの中でも、「今日私が生きているのならば、わたしには使命があるという証拠だ」という祈りの言葉を私はご紹介させていただきました。
ある信仰者が信仰に基づいてそのように祈ったのです。それは神への感謝を表す言葉であり、また同時に信仰の新たな決心の言葉でもあると私には感じられました。

私たちは自分自身の力で生きているのではありません。私たちを造り、私たちに命の息を与えてくださった神によって私たちは生かされています。
ですから、私が今日生きているのならば、それは私には(神が私になすようにと望んでおられる)使命がある確かな証拠だと、私たちも信じてよいと思います。
今年も私が生きている、また私たちの教会がこの地域に今年も立たされ続けている~それは神が私たちひとり一人に、そして私たちの教会にお与えになった使命がある証拠だと、私たちは信じることができます。
そして、神が私たちに与えられた使命を私たちが果たすために必要な力は、そのために必要なものはすべて神が私たちに与えてくださる~それが私たちの信仰です。私たちはそのように、いつも神を信頼して生きていきたいと願います。
今日、2023年1月1日の主日礼拝で、私たちの生きる希望の根拠である“神の恵み”について、聖書の御言葉に導かれながら、思いを巡らせていきたいと思います。

 今日の宣教箇所として、私はエフェソの信徒への手紙1章3~14節Ephesiansを選びました。
今年度(2022年度)の私たちの教会の標語は「主の恵みに目を留める」です。聖句はエフェソ2章8節です。
エフェソ2章8節には「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは自らの力によるのではなく、神の賜物です」と書かれています。
“社会や世界、私たちの教会にとっても本当に困難な状況が続く中、特に今、神の恵みに目を留めて神の恵みを感謝しよう”という思いを持って、今年度の教会活動を行いたいと私たちは願ったのです。
今年度はまだあと3ヶ月ありますが、私たちが信仰の目をもって今年度の今までを今日振り返る時、神の恵みは確かに私たちと共にあった、と私たちは信じることが出来ると思います。

 主日礼拝やその他の教会での集会(祈祷会や教会学校、FFF等)での神の御言葉の分かち合いを私たちは続けることができました。教会での信仰の交わりが守られ、信仰の交わりを通して私たちには神の恵みが豊かに注がれたと私は信じます。
実際に集まることが難しい状況、集まっても感染防止対策のための制限などはずっと続いています。しかし、私たちが聖書の御言葉と聖霊に導かれる集会を持ち続けることができた~これは私たち自身の力や決意ではなく、神の変わらぬ恵みの賜物です。
そして“信仰によって、私たちは結び付けられている”と信じることができるのも、神の恵みであると思います。そして、私たち信仰者の使命の一つは、その神の恵みを世に伝え、神の恵みを世と分かち合うことです。
ですから、私たちが教会での集まりを持つことが許され守られていることを感謝し、この恵みを、私たちの周りの人々へも伝えていくという希望と決意をも、今日私たちは新たにしたいと願います。

私たちは礼拝の中で神を賛美し、神をほめたたえます。私たちは神に栄光をお返しします。今日の箇所の最初(3節)には「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように」と書かれています。
 なぜ私たちが神をほめたたえるのでしょうか。それは神が私たちを救ってくださったからです。神が恵みによって、滅びの中にあった私たちを命の道へと引き上げてくださったからです。
 神は、御子イエス・キリストの血によって私たちの罪を贖い、私たちがキリストによる新たな命に生きることができるようにしてくださったのです。
神のその恵みに感謝をするのならば、私たちは神をほめたたえずにはいられないはずなのです。神の恵みに私たちが本当に満たされるのならば、私たちは神様を礼拝せずにはいられないはずなのです。
ですから、「神をほめたたえる」ということは、信仰者にとっては、ごく自然な信仰表現であるとも言えます。
しかし私たちには依然として、自分の思いや欲を中心にしてしまう罪があります。神ではない何か他のもの(自分を含む人間や、何か他のものを)私たちは崇めてしまう(第一のものとしてしまう)ことがあるのです。
ですから、私たちは依然として罪人、しかしキリストの血によって赦された罪人、という自覚をもちながら、神の言葉と神の集会(教会)から離れることなく、神の恵みのうちに留まり続ける、という決意を今日新たにしようではありませんか。
 今日の箇所の中に(特に4節~5節に)書かれていることを見てみましょう。それは、一言で言えば“神は天地を創造される前から、私たちを愛そうと決心しておられた”ということです。
 これは驚くべきことです。
私たちの世界、そしてそこに生きるすべてのものは神によって造られました。旧約聖書『創世記』に、神がどのようにして世界を創造されたかが書かれています。

そして聖書(今日の箇所)は、神は世界を創造される前から私たち人を愛そうと決めておられた。キリストによって私たちを神の子にしようと定めておられた、というのです。
神が世界をお造りになった理由は神の愛であり、キリストによって私たちを神の子にしようとなさった神の愛であった~これが聖書が私たちに伝える重要なメッセージの一つです。
 しかし残念ながら私たち人は自ら、神から離れて自分中心に生きるという罪の道を選んでしまいました。神の恵みから離れたその先にあるのは滅びの道です。
神はその滅びの道から私たちを救うために、イエス・キリストを私たちの世に贈ってくださいました。
ぜひ私たちは神のその恵みに目を留めましょう。イエス・キリストを通して私たちに溢れるほどに注がれる神の恵みのうちに生きて、神の力と喜びに満ちた生き方をしようではありませんか。

最後に今日の10節を分かちあって、宣教を終わりたいと思います。
10こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
 私たちは、この10節の言葉が実現する道のまだ途上に生きています。しかし、私たちが神の恵みを認め、神の恵みの内に生き続ける限り、この預言の言葉は必ず実現すると、私たちは信じることができます。
“キリストのもとに一つにまとめられる”ということは、私たちひとり一人が神の前に、そしてお互いにとって本当にかけがえのない大切な存在となる、ということです。
それは、わたしたちがお互いのことを、キリストを通して、大切な存在として認め合うということです。キリストによってこそ、その事は可能になるのです。
キリストによって私たちが一つとされることで、“私は大切な存在であり、ここ(教会)にいていいし、ここにいなくてはいけないのだ”~そのように、皆が心から思える教会になりたいと私たちは願います。

イエス様はヨハネによる福音書13章34~35節で次のようにおっしゃいました。
「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる」
私たちはどうしたら自分がキリスト者であることを証明できるのか、あるいは私たちはキリスト教会であることを証明できるのか?
それは今申し上げたイエス様のお言葉の通りだと私は信じます。私たちが心を神に向けて、たがいに愛し合いながら礼拝を続けるのならば、私たちのそのような礼拝を通して、“キリストによってすべてのものが一つにまとめられる”という聖書の御言葉は少しずつでも実現していくのです。
神の恵みに留まり、神の愛に留まることによって、イエス・キリストを中心とした信仰の交わりを私たちは保ち、今年もまた神を礼拝し続けていこうではありませんか。
 神の溢れる恵みを頂いて、私たちの生きるすべてのことの中に溢れる神の恵みを認めて、キリストにある信仰生活を共に今年も歩んでまいりましょう。

2022年12月10日土曜日

12月17日(土)こどもクリスマス会を開きます。どなたでもご参加できます!