2013/5/12宣教より
ヘブライ 13:20~21
私は牧師という務めに召されて16年になりますが、この務めの責任の大きさに今も尚、おそれを感じます。教会という羊の群れを牧する責任、信徒(羊)一人一人への手厚い配慮と関わり、その足りなさに自分の至らなさを思います。◆しかしその自分の小ささを思えば思うほど、主イエス・キリストの偉大さを痛感いたします。主イエス・キリストは私たち(羊たち)の「大牧者」です。◆主イエスは言われました。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」 (ヨハネ10:10-11)と。◆この「大牧者」主イエスは、その言葉の通り、御自身の命を捨てて(十字架に死んで)、私たち(羊たち)の命を救って下さいました。それによって父なる神との契約(救いの約束)を、一時的なものではなく、永遠なる確かなものとしてくださったのです。◆この世にあって、「永遠」に存続することってあるでしょうか?・・・「否」です。私たちの肉体の健康も、国家という形も、地球環境も、すべて変わりゆくもの、形を失うものです。◆けれども、「大牧者」主イエスによって果された契約は、いつまでも新しく、変わりません。それは不変の真理です。ですから、この方と共に歩むとき、私たちは安心できるのです。◆私たちがこの『祝祷』を聞く時に、その「大牧者」主イエスの臨在を強く確信できるなら幸いです。そしてその確信は、ここから出かけて行く先々で出会うどんな局面におかれても、私たちを励まし、平安に満たし、強くするでしょう。