2024年12月3日火曜日

2024年12月22日 主日礼拝

前奏
招詞  イザヤ書9章1節
アドベントキャンドルの点火
賛美  新生讃美歌 157番 来たれ 友よ 喜びもて
主の祈り
賛美  新生讃美歌 301番 いかなる恵みぞ
献金
特別賛美
聖句 マタイによる福音書2章1~11節
祈祷
宣教 「最初のキリスト礼拝」
祈祷
賛美  新生讃美歌 167番 天にはさかえ
頌栄  新生讃美歌 679番
祝祷
後奏


 キリスト教会では、12月25日をイエス・キリストの誕生日として、記念し、お祝いをいたします。
 先ほどお読みいただいた今日の聖書箇所には、「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と書かれています。
 実は聖書の中には、イエス様が「何月何日に生まれた」という記録はありません。ですから、12月25日がイエス様の本当のお誕生日かどうかは、私たちにはわからないのです。
 キリスト教会が12月25日をクリスマスとして祝うようになったのは、キリスト教初期の時代に、当時ローマで信じられていた太陽神ミトラ(Mithra)を崇拝するミトラ教が、“不敗の太陽神 (the Invincible Sun God)”を祝う祭りを12月25日に行っていたことに由来するようです。

 クリスチャンたちは、イエス・キリストこそが、”真の太陽“であり、新しい命を人間にもたらす唯一、真の神であることを信じました。
 ローマ帝国においてもキリスト教がだんだんと信じられるようになり、ミトラ教は衰退していきました。
そのような経緯で12月25日には、ミトラの神ではなく、クリスチャンたちがキリストの誕生を記念するようになっていったようです。
 ですから、12月25日という日付は、聖書の中には記録がありませんが、その日付は、聖書が伝える唯一真の神を多くの人たちが信じ、(人間が作り出した偶像を信じるのではなく)、真の神をあがめるようになった信仰の決意の歴史を表すものです。

 12月25日という日付自体には、キリストの誕生日としての正確な根拠がありませんが、しかしイエス・キリストが生まれた時代については、聖書にはっきりと書かれています。
 初めに私が申し上げましたように、今日の箇所の始めに「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と書かれています。
 ヘロデ王とは、通常“ヘロデ大王 Herod the Great”と言われる、当時ローマ帝国の庇護を受けながら、ユダヤを王として治めていた人でした。(その在位は紀元前37年から紀元前4年までと言われます)
 今日の箇所よりも後の箇所に書かれているように、ヘロデは“王としての自分の地位を脅かす新しい王が生まれた”という知らせ(ニュース)を恐れ、ベツレヘムの周辺一帯で生まれた二歳以下の男の子を一人残らず殺させました。
 ですから、ヘロデは、恐ろしく大変残忍な性格であったと言えます。
または、“彼(ヘロデ)の生い立ちや王という地位が、彼をそのような人にしてしまった、人間は誰でも彼(ヘロデ)のようになる可能性がある”ということを私たちは知るべきなのかもしれません。

 イエス様はそのような王がユダヤに君臨していた時(およそ2000年前)に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになりました。
 そのとき「占星術の学者たち」(英語ではMagi (伝統的には“賢者”(wise men)とも訳されてきた)が、東の方からエルサレム(ユダヤの首都)のヘロデ王のところへやってきました。
 新共同訳聖書で「占星術の学者たち」と訳された理由は、彼らが星の動きを見ることによって、“ユダヤ人の新しい王(救い主)が生まれた”という解釈をすることができたから、だと思われます。
 彼らは、星(天体)の動きを観察し、それを解釈することができる、当時の天文学の専門家だったのです。
彼らの知識は、当時の水準としてはかなり高いものであり、彼らは当時の最先端の学者たちであったのでしょう。
 その彼らが東の方からはるばるエルサレムへとやってきました。“東の方”が正確にどこかは書かれていないので分かりません。
 それはかつてバビロン捕囚によってイスラエルの民たちが囚われていたバビロン、あるいはそのもっと東の方という説もあります。だとすると、彼らが辿った旅の道のりは千数百キロにも及びます。
 正確には分かりませんから推測するしかないのですが、彼ら学者たちが、相当の長い道のりを、それだけの危険を冒して、相当の日数をかけてエルサレムへたどり着いたことは確かだと私は思います。

 マタイ福音書は、その時お生まれになったイエスという人が、人間がそれほどの危険を冒し、時間をかけてでも、また持っているものの多く(全て)を捧げてでも、お会いすべきお方、私たちが信じるべき尊いお方なのだ、ということを告げているのです。
 また彼ら学者たちは、ユダヤ人ではなく、東の方の国出身の、ユダヤ人たちから見れば“異邦人たち”でした。
 彼ら異邦人の学者たちは、バビロン捕囚でバビロンの地域へ移り住んでいたユダヤ人たちからもたらされた聖書の話に親しんでいたのではないか、と思われます。
 “いずれユダヤに真の王、救い主がお生まれになる”という聖書の預言を、彼ら学者たちは信じて、大きな期待を持って待っていたのでしょう。
 ユダヤの王、救い主がお生まれになったという知らせが、ユダヤ人ではない異邦人たちによってヘロデ王に知らされた、という事実も、このお方(イエス様)が、イスラエル、ユダヤという地域や国、民族を超える、私たちすべての人間の救い主であることを表します。
 私はかつてキリストを信じる前は、“キリスト教は西洋のもの”という考えをもっており、日本人の私が信じられるものではない、と思っていました。
 正確には、キリスト教は歴史的には確かに西洋(ローマ、ヨーロッパ諸国)で発展しましたが、イエス・キリストはイスラエルでお生まれになったユダヤ人ですので、“キリスト教は西洋のもの”という認識は必ずしも正しくありません。
 かつて“キリスト教は西洋のもの”という理由で、キリスト教を拒絶していた私自身の中には、一種の偏見や壁(それは“差別prejudice”と言ってもいいかもしれません)があったのだなと、今私は思わされます。
 真実というものは、人間の世界での国とか民族、人種の違いを超えるものです。
人間の世界での私たちの違いを超える神の真実があるにもかかわらず、その真実よりも、人間の世界での国や民族の違いにこだわり、時には自分の所属する国や民族に偏った誇り(プライド)を大切にしようとすることは、正しいことでしょうか。
私たちはすべて神によって造られたものであり、神は私たち一人ひとりを、異なる特徴をもった者としてお造りになりました。
神によって造られた私たちは、一人一人違っても、しかし私たちをお造りになった唯一の神を知り、人間の世界での国や地域、人種や民族などの違いを超越した神を信じて共に生きていくようにと、神がそう望んでおられることを聖書は告げています。
わたしたちは、聖書の告げるその真実に、心を開き聖書の言葉に耳を傾け続けていきたいと願います。

そして今の私たちは幸いなことに、今日の聖書箇所での、占星術の学者たちのように、真の神、救い主を求めて、救い主とお会いするために、何百キロ、何千キロという旅をする必要はないのです。
わたしたちは神とお会いするために、エルサレムまで行く必要はないのです。なぜなら、神は今、ここに私たちと共におられるからです。それは本当でしょうか?
それは本当なのです。聖書には次のように書かれています。
 マタイによる福音書18章20節でイエス様が次のようにおっしゃっています。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」

 私たちが、キリストの名によって、すなわちキリストを神と信じ、その信仰によって結ばれて、心合わせて集うならば、その場にイエス様は共にいてくださる、というのです。
 私たちキリスト教会が、人間的な思いや欲によって集まるのではなく、キリストの名、イエス・キリストの恵みと愛に引き寄せられて集まる時、キリストにご栄光を共にお返しする時、その場にイエス様は共にいてくださいます。
 つまり、私たちがキリストへの信仰を持って集まるところであれば、どこであってもイエス様はその場に共にいてくださる、というのです。何という大きな恵みでしょうか。
 私たちはこれからも、聖書の御言葉を共に聞き、神の霊である聖霊の導きをいただいて、私たちがキリストの名を信じて集まる場に、イエス様が共にいてくださる、との恵みを分かち合って信仰生活を歩んでいこうではありませんか。

 また、今まだその信仰をお持ちでない、決心をしておられないお方も、ぜひ教会へ続けて来ていただいて、真の神との出会いを経験していただきたいと、私たちは心から願っております。
 学者たちが最初に行ったヘロデの宮殿に、ユダヤ人の王(イエス様)はおられませんでした。
イエス様は、大工のヨセフと母マリアとの間に、そのユダヤの普通の家庭で、一人の男の子としてお生まれになったからです。
 ヘロデに「その子のことを探し出してくれ、調べてくれ」と言われ(8節)、学者たちは出かけていきました。
すると彼らが東の方で見た星が彼らを導いて、そしてその幼子(イエス様)のいる場所の上に止まりました(10節)。

 そこで彼らは喜びにあふれ、そしてその家へと入っていきます。
 11節をお読みします。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

 彼ら学者たちは、そこで見たひとりの幼子にひれ伏して、拝み、その子に、彼らが持っていた宝を捧げました。
 黄金は王であるお方への捧げもの、そして乳香(ある種の木の樹液から作られた香料)は、神と人とをつなぐ大祭司であるお方への捧げものを象徴すると言われます。
そして没薬とは、死者の体の腐敗を防ぐ防腐剤としても使われていたことから、すべての人の罪の贖いのために、やがて十字架で死なれるキリストの死を象徴するものだと言われます。
ですからその時、この学者たちは、彼らが持っていた宝物を、真の王であるお方、そして神と人とをつなぐ大祭司でもあるお方に、そして私たちのためにその命を捧げてくださるお方へと、宝物を捧げたのです。

彼らは、その時、最初のキリスト礼拝を捧げたと言ってよいと、私は思うのです。
今私たちは、キリストをどのように礼拝しているでしょうか。キリストを心から信じ、あがめ、私たちの宝をそのお方に捧げているでしょうか。
神であるお方が人としてお生まれになりました。そのお方がイエス・キリストです。それは私たちの罪の赦しと救いのためです。
キリストがそのようにして私たちの世界に生まれきてくださったことを信じ、喜び、そして感謝しましょう。
キリストの名によって私たちはこれからも集まり続け、私たちが持っている最良のものを、まず私たち自身をイエス様へとお捧げし、真のキリスト礼拝を捧げてまいりましょう。
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」~イエス様のこの恵みの御言葉は、いつまでも真実であり、そして私たちにとっての現実であり続けます。