教会の歩み

「天の下では、すべてに時機があり すべての出来事に時がある」 (コヘレト3:1)

別府国際バプテスト教会の歴史は1969年に遡り、それは別府に主の御国のための教会を建てたいという思いを与えられた、永見夫妻を通しての主の働きと切り離すことはできません。

1969年4月27日、西野口地区で最初の家庭集会が開かれました。先輩信者や外部より招いた説教者たちが順番に宣教を担い、その集会を大きくしていきました。それから16年後の1985年、大分キリスト教会の伝道所となり、初代牧師に佐藤徹丞牧師が就任され、主はこの交わりを新たな段階へと導かれました。集会は依然、いろいろな家で開かれていましたが、佐藤牧師は集会の度に毎回、信徒たちを送り迎えしてくださいました。

 集会には試練が訪れて信徒の半数が教会を去ったこともありました。しかし、残された会員は小畑地区に移り、主を礼拝し続けました。1992年3月、佐藤牧師が教会を去ることになり、諸般の事情で教会も閉鎖されることになりました。「二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20) 。そのような状況にもかかわらず、この聖句に基づいて4人の姉妹が集会を続け、礼拝を守り続けました。

しかし、神のご計画は本当にに測り知れないものであり、神は決して人を見捨てられることはありません。1992年5月、消滅寸前の小さな集まりが、全国拠点開拓伝道の一つに推薦されました。同年12月、鶴崎伝道所の土地と建物を売却することを条件に、ついに支援が認められました。2年後の1994年4月、教会は幸地区のマンションに移転し、祈りが応えられ同年11月、宮地牧師が2代目牧師に就任されました。その後、1995年から96年にかけて、神の祝福と宮地牧師のリーダーシップにより、教会は現在の場所に土地と建物を与えらることになりました。さらに、私たちが信仰を強め、キリストの体を築いていくために、主はバーバラ・イーキンズ宣教師を別府伝道所に遣わしてくださいました。

国際的な教会になるという召命は、宮地牧師がこの教会で奉職されていた時に既に始まっていました。現在の場所が別府大学に近くて、その頃留学生が定期的に礼拝に参加していたからです。2000年8月、宮地牧師が別府伝道所での働き終え、私たちが次の牧師を祈りながら待っている間、主はその間、吉高師(引退牧師)を教会に遣わされました。

そして2003年6月、神様は私たちの祈りに応えてくださり吉田真司牧師を次の牧師に任命されました。神様は、吉田牧師だけでなく、世界中から来会される人々のための教会を建てるために、他の働き手も遣わされました。フィリピンからのマーク・フェリザール兄、三上梓兄(共に神学生)が来られ、1年間インターンとして奉仕しました。また、フランシスコ・フェリザール兄(立命館アジア太平洋大学/APU教授)とそのご家族がAPUの学生に働きかけ、その結果、多くのAPU生が礼拝に参加するようになりました。

2006年には教会組織委員会が発足。そして2008年11月3日、別府伝道所は教会名を新しく「別府国際バプテスト教会」として正式に独立しました。

それは決して人の業ではありませんでした。神様の祝福と導き、日本バプテスト連盟とその加盟教会、私たちの「母」教会である大分キリスト教会、そして関わってくださった、すべての人々の祈りと働きに感謝します。