2024年8月3日土曜日

2024年8月4日 主日礼拝 

前奏
招詞  マルコによる福音書6章34節
賛美 新生讃美歌104番 雨を降り注ぎ
祈りの時
主の祈り
賛美 新生讃美歌 3番 あがめまつれ うるわしき主
献金
聖句  ヨナ書3章10節-4章11節
祈祷
宣教  「ニネベの人を惜しむ神」
祈祷
賛美 新生讃美歌 639番 主の恵みに生きる
頌栄 新生讃美歌 676番
祝祷
後奏

皆さん、おはようございます。
私たちの教会は、今、教会のミッション・ステートメント「わたしたちの教会の働き」の見直しをしようとしています。その中に、繰り返し、「伝道」あるいは「福音宣教」という言葉が記されています。
そして、どのように見直しをするにしても、伝道――福音を伝えるということ――が、私たちクリスチャンにとって、そして教会にとって、大切な使命であることに変わりはない、と私は思います。
そこで今日は、旧約聖書のヨナ書から、特に、伝道について、神様の語りかけを聞きたいと思います。

今日は、先ほど読んでいただきました、3章10節から4章11節の部分を中心にお話ししたいと思いますが、ヨナ書をまだ読んだことのない方もおられるかもしれませんので、全体の内容をまず簡単にお話しします。
ヨナ書は、小預言書の一つに数えられています。実際、1章1節に「主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ」と、いかにも預言書らしいスタイルで書き出されています。
ところで、ヨナについては、旧約聖書では、ヨナ書以外ではたった1度、列王記下14章25節にしか登場しません。そこにはこう書かれています。
「しかし、イスラエルの神、主が、ガト・ヘフェル出身のその僕、預言者、アミタイの子ヨナを通して告げられた言葉のとおり、彼はレボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した。」

ここで「彼」と言われているのは、23節から、「イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアム」のことだと分かります。「ヨアシュの子ヤロブアム」とは、歴史上ではヤロブアム2世と言われる、北イスラエル王国の第13代の王のことです。その治世は紀元前793-753年で、ヨナは彼と同時代かそれ以前、およそ紀元前8世紀前半に活躍したと思われます。
ヨナ書のヨナと列王記のヨナが別人である可能性も皆無ではありませんが、父親の名アミタイも聖書の中では他に見られない名前ですし、同一人物と見て良いと思います。
さて、そのヨナに臨んだ主の言葉は、「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」というものでした。
「ニネベ」は、メソポタミアのティグリス川の上流近く、現在のイラクのモスルの対岸(東岸)にあった町で、紀元前9世紀から8世紀にかけて、西アジア全域に強大な勢力を誇った軍事大国アッシリア帝国の主要都市の一つで、王のお城がありました。
そして、ヨナの時代より半世紀ほど後の、前8世紀の終わり頃には正式に帝国の首都とされました。発掘調査の結果では、南北5km、東西2.5kmほどの大きさの町であった、と言われています。

そして、3章8節、新共同訳で「不法」と訳されている語が、新しい聖書協会共同訳で「暴虐」〔英語訳で“violence”(NIV他)〕と訳されているように、アッシリア帝国は、その残虐さのゆえに、周囲の国々から恐れられていました。イスラエルの国も、このアッシリアの脅威にさらされていたのです。
さて、ヨナはその敵国アッシリアの町ニネベに宣教に行くようにと言われたわけです。
ところが、1章3節、「ヨナは主から逃れようとして・・・タルシシュに向か」い、「折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込」みました。
タルシシュというのは、正確な場所は分かっていないようですが、地中海の島か、地中海の西の端、スペインの南部の町であっただろうと、考えられています。すなわち、ニネベとは全く逆方向になります。
神様は「大風を」起こしてヨナの逃亡を阻止し、更に「巨大な魚」を備えて、ヨナを荒海の中から救い出します。この、ヨナが「巨大な魚」に呑み込まれ、「三日三晩」その腹の中にいたという、ちょっと信じられないような出来事が記されているために、本書をたとえ話や寓話と考える人たちも少なくないようです。

「三日三晩」と言うと、現代の私たちは、「丸三日」――およそ72時間前後――を意味するように思うかもしれませんが、これは現代の正確な言い方では「足掛け三日」、すなわち「二泊三日」のことです。
イエス様は、マタイによる福音書の12章40節で、このヨナのことを引用して、
「・・・ヨナが三日三晩、大魚(たいぎょ)の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」と言っています。
福音書の記録によれば、イエス様が墓に葬られたのは金曜日の夕方、安息日が始まる直前の金曜日の日没前でした。そして、マグダラのマリアを始めとする女性たちが、「週の初めの日(すなわち日曜日の)、朝ごく早く、日の出とともに墓に行った」ときには、イエス様はすでに復活していました。
つまり、イエス様が墓の中にいたのは、長く見ても、金曜日の日没前から、日曜日の明け方近くまでであって、およそ36時間ほどであったことになります。
と言うことは、ヨナが大きな魚の腹の中にいたのも、同じぐらいの時間であったと考えられます。

地震や土砂崩れなどの災害が発生したとき、発生から丸三日、72時間を越えると、建物などの下に閉じ込められた人の生存率が急激に下がる、と言われています。しかし、中には一週間以上も経ってから、無事に救出される方もいます。
ヨナが丸一日半ほどを過ごした、大きな魚の腹の中がどんな状態だったのかわかりませんが、2章1節(口語訳やNIVでは1章17節)の口語訳によれば、その大きな魚は神様が「備えて」くださったものであることが分かります。
であれば、実際に神様が大きな魚の腹の中でヨナの命を守って下さった、と考えても無理ではないでしょう。このヨナ書の出来事を歴史的事実と考えることに、不都合はないと私は思います。
さて2章によれば、ヨナはこの大きな魚の腹の中で、命が守られたことに対する感謝の祈りをささげています。そして主の命令によって、ヨナはもう一度、陸地に吐き出され、3章1節、「主の言葉が再びヨナに臨」みます。

ヨナは、今度は命じられたとおりに、ニネベに行って、「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる」と、神様から語れと言われた言葉を「叫び」ながら、丸一日かけてニネベの町を巡り歩きました。
一回りするだけでも三日かかったということですから、宣教しながらであればもっとかかっただろうと思われますが、ヨナが三日以上かけて、ニネベの町を隅々まで巡り歩いたかどうかは記されていません。
ところが驚くべきことに、ニネベの町の人々は悔い改め、それを伝え聞いた王までも悔い改めたのです。

その結果、3章10節、「神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」のです。
ところが、また、ところが、です。本書には私たちにとって意外に思えることがたくさん記されています。

4章1節を見ると、「ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒(いか)った」とあります。4章2節の言葉からも分かるように、ヨナはまだ、敵であるニネベの人々は、神様の宣告通りに滅びてほしい、と思っていたのです。イスラエルの国の置かれていた状況を考えると、無理もないことかもしれませんが。
ヨナは、主の言葉に従って、ニネベで宣教しました。しかし、内心では、ニネベの人々が救われてほしいとは思っていませんでした。神様に言われたから、仕方なしに、宣教したのです。ところが、ヨナのひそかな願いに反して、ニネベの人々は悔い改め、神様は彼らを赦しました。
4章3節、ヨナは自分の願うとおりにならなかったために、ふてくされています。「主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」
神様はこのヨナを、すぐに叱ったりせず、じっくりと取り扱います。まず4節、「お前は怒るが、それは正しいことか」と、穏やかにヨナに問いかけます。しかし、ヨナはそれには全く答えません。とにかく、事の成り行きを「見届けようとし」ます。

神様は、「とうごまの木」を生えさせて、ヨナのために暑さを避けるための日陰を作ってやります。ところが、ヨナが喜んだのも束の間、神様はすぐその翌朝、「虫に命じて」その「とうごまの木を食い荒らさせ」ます。そして神様は更に、「焼けつくような東風」を吹きつけさせます。
再び死を願って、「死ぬほうがましです」と言うヨナに、神様はもう一度、「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか」と問いかけます。「もちろんです。・・・」と言うヨナに対して、神様がこう言われます。
「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
ここで、唐突にヨナ書は終ります。神様は私たちに何を語ろうとしておられるのでしょうか。
私自身が神様から語りかけられたことを、幾つかお話しして、今日のメッセージとしたいと思います。
私は、思い違いをしていました。私は、自分が立派なクリスチャンにならなければ伝道ができない、と無意識のうちに思っていたようです。そのために、これまで積極的に伝道することができませんでした。しかし、ここで気づかされたのは、とにかく伝えることが大事だ、ということです。誰かが伝えなければ、人々は福音を聞くことができません。
ローマ書10章14節に、こう書かれています。途中からですが、
「・・・聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。」

私たちの奉仕は不十分かもしれません。ヨナは、内心、ニネベの人々は滅ぼされてほしいと願っていました。人々が救われてほしいと思って、宣教したわけではありません。しかし、人々はヨナが伝えた、神様の言葉を聞いて、悔い改め、救われたのです。とにかく福音を伝えることが大事なのではないでしょうか。
最後の2節(10-11節)の言葉から分かることは、神様は御自分が造られた人間を惜しんでおられる、ということです。この「惜しむ」という言葉は、「憐れむ」とも訳せる言葉です。
招詞でお読みしましたように、イエス様も、「大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れ」んでおられます。
ニネベの町の人々は、ヨナにとっては敵でした。しかし、神様にとっては、御自分が造られた、しかも、「右も左もわきまえぬ」――「飼い主のいない羊のような」――人々だったのです。
神様は、私たちが敵と思うような人々をさえ、「惜しい」と思い、憐れんでおられるということです。
もう一つ、口語訳聖書を見ますと、4章6節の「とうごまの木」も、7節の「虫」も、8節の「焼けつくような東風」も、更に2章1節(口語訳やNIV、1章17節)の「巨大な魚」も、皆神様が「備えた」ものであることが分かります。神様がある目的をもって、ヨナを取り扱っているのです。
ヨナは、4章2節から分かるように、神様が誰に対しても憐れみ深いお方であることを知っていました。しかし彼は、自分の思いの方に囚われて、その神様の思いを、自分の思いとすることができませんでした。彼の思いは――敵に対する彼の思いは――自分が大いなる奇跡的な救出の経験をしても、変わっていませんでした。

神様はそのヨナを忍耐深く取り扱い、「とうごまの木」という実物教訓を通して、ニネベの町の人々に対する神様の思いを吐露されたのです。ヨナにも、私と同じ思いになってほしい。少しでも私の思いが分かってほしい。神様はそう願って、ヨナを取り扱っておられたのではないでしょうか。
私たちも、神様がすべての人を愛し、すべての人が救われることを願っておられること、そして、そのことを実現するために、御自分のひとり子であるイエス・キリストを、私たちの罪のための犠牲として下さったことを知っています。
しかし、その、人を救おうとする神様の熱い思いを、私たちはどれだけ自分のものとしているでしょうか。
別府市の人口は、現在11万2千人ほどです。「暴虐」を極めたニネベの町の人々をさえも、神様は「惜しい」と思われたのですから、この別府の町の人々を、どんなにか惜しんでおられるのではないでしょうか。その神様の思いを、誰が、この人々に伝えるのでしょうか。