2023年1月7日土曜日

2023年1月8日主日礼拝

招詞 エレミヤ書32章17節
賛美 新生讃美歌 240番 救いの主はハレルヤ
主の祈り
献金祈祷
聖書 ルカによる福音書1章26~38節
祈祷
宣教  「どうしてそのようなことがありえましょうか」
https://youtu.be/9Bt7x5kOLSU
祈祷
賛美 新生讃美歌 124番 この世はみな
頌栄 671番
祝祷

 今日の聖書の箇所では、天使ガブリエルがマリアに現れて、“おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる”(28節)という挨拶の言葉と共に、“彼女(マリア)が神の子イエス・キリストを産むことになる”ことを予告します。
この箇所はイエス・キリスト誕生に関するお告げの場面ですので、クリスマスの時期によく読まれる箇所の一つです。
今私は、ルカ福音書を最初から連続して礼拝宣教の中で宣教(メッセージ)しています。ちょうどクリスマスが過ぎたばかりの今の時期ですが、その連続説教の順番に従って、今日はこの箇所が私たちに与えられました。
 クリスマスの余韻が残る今の時期ですが、今日もこの箇所から、神のメッセージを私たちは共に聞いていまいりましょう。
 マタイ福音書では、マリアの夫のヨセフ(正確には、二人はまだ婚約中であった)に天使があらわれました。
ヨセフは、マリアが聖霊によって身ごもったことが明らかになると、マリアが姦淫の罪に問われるのを恐れ、ひそかに離縁しようとしていました。

しかし天使がヨセフに「恐れずにマリアを妻として迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿った。その子をイエスと名付けなさい。その子は自分の民を罪から救う」と告げました。
ヨセフは天使の言葉に励まされ、力づけられたのでしょう。また天使の言葉によってヨセフは神の御心を確信したのでしょう。ヨセフはマリアを妻として迎え入れました。
 一方、ルカ福音書では、妻のマリア(繰り返しますが、正確にはまだ婚約中です)に天使があらわれます。天使(ガブリエル)はまずマリアに「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と言いました。
マリアは「この言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ」と書かれています(29節)。
マリアがどのような女性であったのか、彼女がどのような家庭や家系の出身であったのかなどの詳しいことは聖書には何も書かれていません。

当時のユダヤでは結婚は家族同士(父親同士)によって決められることが普通でした。ですから“自由恋愛”ではなく、その時のしきたりに従って、家族同士の取り決めによって、マリアとヨセフの結婚も決められたのでしょう。
当時、特に女性の立場や地位が今と比べて非常に低くされていた時代の中で、マリアという人も、弱い立場に立たされていて、自分の意見や希望を堂々と表明したりすることは許されていなかったのだろうと想像することができます。
 しかし、マリアが天使の挨拶の言葉を聞いて、戸惑いつつも、いったいその挨拶は何のことかと「考え込んだ」という描写から、マリアという人は、非常に思慮深い(物事をじっくりと深く考える)人であったと推測することはできると思います。
 「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる」~この言葉自体は嬉しい、祝福の知らせです。しかしマリアは、「今、このような言葉がわたしに告げられたというのは、どういうことだろう」と、深く考え込んだのです。(思いをめぐらした)
 私たちは今、聖書を通して(聖書の言葉に基づいた宣教を通して)神の言葉を頂きます。そして聖書の言葉の中には、“この言葉(物語)は何を意味するのか?”と私たちが疑問に思うところ、分からないところも沢山あります。
そのような時には、答えや結論を知ろうと急いだり、あるいは自分で無理やり解釈して納得したりしようとしないで、“これは何を意味するのだろう”と立ち止まって、じっくりと考えることも大切だと、マリアの姿勢から私たちは教えられます。
 聖書の言葉(神の言葉)を、「これは何を意味するのだろう」と時に疑問に思いながらも、思い巡らすということは、大切なことです。
すぐには答えが分からなくても、その聖書の言葉にしばらく思いを巡らせるという、その過程を通して、少しずつその御言葉の意味が自分にとって明らかになってくるということがあります。
そのような過程自体も、神との交わりの時として、私たちにとって、とても大切なものだと私は思います。ですから私たちは、できるだけ時間をかけて、聖書の言葉(神の言葉)に思いをめぐらせる、という習慣も大切なものとして身につけていきたいと思います。

 天使は「マリア、恐れることはない」と言って、マリアの恐れを静めます。自分に神の偉大な力が向けられていることを感じ、マリアは自分でも気づかずに恐れていたのかもしれません。
神の言葉は人の恐れを静め、そして平安を与えてくれます。天使の言葉はマリアの心から恐れを取り除いて、それから告げられる神のメッセージをマリアがよりよく聞くことができるように、マリアの心を整えたのだと思います。
続いて天使が告げた言葉は驚くべきことでした。30節からの天使の言葉をお読みします。

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
31あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
32その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
33彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

 天使のその言葉を聞いて、マリアはこのように言いました。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」
 「どうして、そのようなことがありえましょうか」~これが、マリアの反応でした。繰り返しますが、マリアはまだヨセフとは正式な夫婦の関係にはなっていませんでした。
 それにも関わらず、天使の言ったことは、マリアに男の子が生まれ、しかもその子が“偉大な人”、”いと高き方の子”となり、”神である主が彼にダビデの王座をくださる”(王様になる)と言うのです。
“彼は永遠にヤコブの家(イスラエル)を治め、その支配は終わることがない”と、天使が言ったことは、マリアには壮大過ぎて、受け入れ難い、理解できないものでした。
 その時マリアは小さく(弱い)自分の姿を見ていたのだと私は思います。“こんな小さな存在の私が、偉大な人、イスラエルを永遠に治める王を産むなんて。。”とマリアは思って、天使の言葉に圧倒されてしまったのでしょう。
 しかし、主は確かにマリアという一人の女の人、ヨセフの婚約者であったマリアを選び、主イエス・キリストのこの地上での母親という重要な役割を彼女に託したのです。
  マリアが自分自身だけに思いを集中している限り、それは理解できないことでした。

この「こんな小さい私に、そんな(すごい事)ことが出来る(起こる)はずがない」という思いは、私たちも持つことがあるのではないでしょうか。
 しかし、私たちは自分自身ではなく、神の御心に思いを集中し、自分自身ではなく神の御心に信頼したいと願います。
私たちが自分自身でなく、神に思いを集中し、神の御心に信頼しようとする時、偉大な神のメッセージが、まさに“この私に向けられた、真実のこと”として信じられるようになるからです。
 わたしたちは聖書の御言葉を通して、神のメッセージを頂くことができるのですから、私たち自身ではなく、神の御心に思いを集中し神を信じる者となろうではありませんか。
 神は、マリアが彼女に起きることが本当であると、信じることができるためのひとつの“しるし”も既に用意してくださっていました。それは、マリアの親類でもあったエリサベトが年取っていたのに身ごもって既に6か月たっている、ということでした。
 今日の箇所の前の箇所は、ザカリアという祭司に天使ガブリエルがあらわれて、年老いた妻のエリサベトに男の子が生まれることを告げる箇所でした。

エリサベトが生む男の子は、やがてバプテスマのヨハネとして、イエス様の宣教のための道を備えることになる人でした。
マリアにとってエリサベトは、主なる神がなさったことについて、分ち合うことができる“仲間”のような存在であったと思います。
そしてまた、既にエリサベトを通して神の奇跡は起こっているのを知ることで、マリアは自分に告げられた天使のお告げが真実であることを、一層信じることができたのだと思います。
 主なる神は、私たち信仰者が一人だけで信仰をもったり、一人だけで信じたりすることを求めておられません。
主なる神は、私たちが神をより深く知り信仰を強めることができるために、そのために必要な信仰の友、信仰の家族を用意してくださるのです。
私たちはひとりだけで信仰を維持したり、信仰を成長させたりすることはできないのです。自分以外の他者、特に同じ教会に属する信仰の家族であり兄弟姉妹であるキリスト者との交わりの中で、私たちはお互いの信仰を励まし合い、強め合うことができます。

神が与えてくださる信仰の友、信仰の家族の存在を私たちは大切にして、信仰の交わりの中で生きることができる恵みを、感謝したいと思います。
天使ガブリエルの言葉を聞き終わって、マリアは次のように言いました。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」
 これはマリアが主を信頼し、主を信じた言葉です。またマリアが自分自身を主に献げると言う決心をした言葉でもあります。
「お言葉通り、この身になりますように」とは、マリアを通して神が偉大な出来事を成就しようとなさっている、ということをマリアが信じた言葉です。
 今日私たちは、このマリアの言葉のように、神が私たちを通して実現しようとしておられることのために、わたしたちが用いられますようにと、願いたいと思います。
  マリアの言葉に合わせて、今日私たちも“あなたのお言葉通りに、この身になりますように。主なる神が、私たちを通して進めておられるご計画が実現しますように”と決意いたしましょう。

神は私たちひとり一人に、そして私たちの教会に素晴らしいご計画をお持ちです。私たちはそのように信じることができます。
主を信頼し、”主のために生きる決意”をして、そして”主が私たちと共にいて下さる喜び”を頂きながら、今週もまた信仰の日々を私たちは歩んでまいりましょう。