2023年11月25日土曜日

2023年11月26日 主日礼拝

招詞  詩編40-篇9節
賛美  新生讃美歌650番 喜びて主に仕えよ
主の祈り 
主の晩餐
世界バプテスト祈祷週間を覚えて
献金
聖句 ルカによる福音書4章42~44節
祈祷
宣教 「ほかの町にも神の国を告げ知らせなければならない」
祈祷
賛美  新生讃美歌 379番 行きて告げよあまねく
頌栄  新生讃美歌679番
祝祷

 今日からの一週間(11月26日~12月3日)は、「世界バプテスト祈祷週間」です。
世界バプテスト祈祷週間では、私たちの教会が加盟している日本バプテスト連盟(Japan Baptist Convention)の日本バプテスト女性連合(Japan Baptist Women’s Union)が推進している国内外の様々な宣教の働きについて特に覚え、祈りと献金を献げます。
 イエス・キリストにより、神の国の福音(良い知らせ)が私たちの世界に知らされて以来、多くのキリスト者たちが福音を世に伝えることを自分の使命として、宣教の働きに仕えてきました。
  神からの召しを受けた多くの伝道者たちが、自分の故郷や住む場所を遠く離れて各地へ、時には外国の地にまで出かけて行き、イエス・キリストの福音を伝える宣教の働きに仕えてきたのです。
  そして福音宣教に仕える宣教師たちの働きの背後には、彼ら彼女らを祈りと献げ物によって支える多くの信仰者たちがいました。

今も、宣教の働きに仕えている宣教師たちが各地に沢山おられます。私たちは福音宣教に従事する宣教師たちの働きを覚え、感謝と祈り、そして献げものにより、宣教師の方々を支えたいと願います。
「世界バプテスト祈祷週間」という名前から、わたしたちは“この一週間が、まず祈りを(特別な祈りを)捧げるための一週間である”ということを確認したいと思います。
 私たちが献金を捧げることも大切です。しかし福音宣教の働きも、その全てはまず祈りによって始めなければならないということです。
 宣教のために神に祈るとは、「神の御心が先にあり、神の御心に従って行きます」という私たち信仰者の決心を改めて表すことでもあります。

今日の聖書箇所では、イエス様を自分たちのそばに引き留めようとする人々と、彼らの願いに反して、宣教のために別の場所へと出て行かれるイエス様の姿が描かれています。
この箇所から、神の御心に従い、福音宣教の働きに仕えること、その働きを支えることについて、私たちは聞いていきたいと願います。
今日の箇所の初めに、イエス様は朝になって「人里離れた所へ出て行かれた」と書かれています。
マルコ福音書での、この箇所と同じ出来事を記している箇所には、「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」と書かれています(マルコ1:35節)
 イエス様は、新しい一日を祈りによって始めておられたのです。イエス様は祈ることで、(人里離れた所で、静かに父なる神と二人になり)神と親密な時を過ごし、霊による力と励ましをお受けになっていたのです。

 神の御子イエス様も、一日の宣教活動を祈りをもって始めておられたということです。そうであれば、わたしたちキリスト者は、なおさら、何をするにしても、初めに祈りをもって始めることの大切さを教えられます。
それは「私たちは祈らなければならない」という義務的な行為ではなく、「祈りなくしては、大切なことを始めることができない」という信仰者としての自然な生き方です。
神に祈ることが、「大切なことはいつも、神への祈りをもって始めたい」という信仰から来る純粋な希望となるようにと私たちは願います。

そして私たちは祈ることで、「この働きは、神が率先し神が導いてくださるのだ」という確信をも頂いていきたいと願います。
 そしてイエス様が、朝に人里離れたところで祈っておられたのは、ご自身が父なる神から力と励ましを受けるためであったと同時に、イエス様は人々のために、父なる神に執り成しの祈りをするためでもありました。
  主イエス・キリストは、今でも私たちのために、神と私たちの間を執り成して下さる(仲介してくださる)お方です。

 ローマの信徒への手紙8章34節に以下のように書かれています。
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

 わたしたち人は、生まれながらに神に反する罪を犯しているので(それが聖書が伝える真実です)、そのままの状態ではだれも神に近づいたり、神に祈ったりすることができません。
  しかし復活のイエス・キリストが今も、父なる神の右に座して、わたしたちのために執り成してくださっており、執り成しの祈りを捧げてくださっているのです。
  ですから私たちは、キリストの十字架によって罪赦された者として、キリストを通して神に近づくことができます。イエス様の名によって、天の父なる神に私たちは何でも祈ることができるのです。
  私たちは、自分のことと他者のことについても、願うことを何でも神に祈ることができます。
 イエス・キリストが私たちと神の間にお立ちくださり、私たちの祈りを神の御前に届けてくださっているからです。そのように神と私たちの間にいて、執り成してくださっているイエス様に感謝を捧げたいと願います。

 群衆(人々)は、イエス様を捜してイエス様のもとへやってきました。そして彼らは「自分たちから離れて行かないように」と、しきりに(イエス様を)ひきとめた、と書かれています。
 イエス様にそのように(自分たちから離れて行かないようにと)願った人たちの気持ちは、私たちにも理解できるものだと私は思います。
  イエス様に、自分たちから離れて行かないようにと願った人たちは、イエス様が大勢の病を抱えた人たちを癒す姿を見ていました。そんなすごい人がずっと自分たちと一緒にいてくれたら、もう安心だ、と人々は思ったのでしょう。
  私たちも、もしイエス様が今わたしたちの目の前に現れて、奇跡的な業を色々と見せてくださったら、「私たちから離れて行かないでください」としきりに願うだろうと私は思います。
 しかしイエス様は、そのように願う人々に、お答えになりました。
 「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」

そうしてイエス様は出て行かれ、ユダヤの諸会堂で宣教されました。イエス様は一つ所に留まることなく、色々な場所で宣教をされたのです。
イエス様は、“そうすることが自分の願いだから”というのではなく、“わたしはそのために遣わされたのだから”と言って、他の町へと出て行かれました。
イエス様は、ご自分をお遣わしになった天の父なる神のみ旨に従って生きることを第一としていたのです。
イエス様は私たちにも、神の御心を祈り求めて、神の御心に従って歩む生き方をするようにという励ましと導きを、今も与えてくださっています。

私たちには色々な願いや望みがあります。しかし私たちは人間であり全てを見通すことはできないので、私たちが持つ願いや望みが、私たちにとって実は良くないことである(あるいは、最善ではない)可能性もあります。
ですから、私たちの願いや望みよりも、神の御心を求めて、そして神が私たちに望まれる道を進み歩んでいくことができるように、私たちは祈り求めていかなくてはなりません。
 イエス様は、“神の国の福音を他の町にも告げ知らせなくてはならない、なぜならそれが天の父なる神がご自分をお遣わしになった理由であるから”という確信をもって、宣教の働きを続けられました。
  “ずっとそばにいて頂きたい”という人々の願いと心もイエス様は十分に理解されたでしょう。しかし、イエス様にとって、“神の国の福音が多くの人々に告げ知らされる”と言う神から与えられた使命が第一だったのです。
 私たちも、私たちがいる場所からは離れた場所、遠くの人たちのことも覚え、またその遠くの人たちの間で、神の国の福音宣教の働きに仕えている人たちを覚えて、祈りと献げ物をお捧げしたいと願います。

 わたしは最初アメリカの教会でイエス・キリストを知り、教会へと繋がりました。私がアメリカで導かれた教会はアメリカの南部バプテスト連盟(Southern Baptist Convention)という宣教団体に加盟するバプテスト教会でした。
私が日本に帰国する時、私が通っていたそのバプテスト教会の方々が、私の出身地である日本の名古屋にも、南部バプテスト連盟から派遣された宣教師がいることを調べて教えてくださいました。
私は名古屋に帰ってから、その宣教師の方々にお会いすることができました。その方々は、私の母教会となった名古屋教会と深いかかわりを持って、奉仕をしておられました。
 私はそれから牧師として仕えています今に至るまでに、何人かの元宣教師の方々と連絡をする機会を持つことができました。
 その中の一人である、わたしの出身教会(名古屋バプテスト教会)と関わりの深かった故アーネスト・ハロウェイ宣教師からは、名古屋教会に関する大変貴重なお話もお伺いすることができました。
  それは、アメリカの教会で伝道集会が持たれ(おそらく1950年頃でしょう)、その時にあつまった献金が原資となって、今名古屋教会が立っている土地の購入がなされた、というお話でした。
  “日本の一都市に教会が立てられて、そこからイエス様の福音が日本の人々に告げ知らされていくこと”を覚えて祈り、そして実際に献げ物を捧げてくださった多くの方々がおられたということに、私は大変感銘を受けました。
 私はもちろんお会いしたこともなく、そのお顔もお名前も知らない、本当に多くの方々が、わたしの出身地での宣教のために遠くアメリカの一地方から祈りを捧げ、尊い献金も献げてくださったことを思うと、感謝せずにいられません。
  その方々が遠く海外での福音宣教の働きにまで思いを馳せることができたのは、「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせねばならない」と言われたイエス様の御心が、まさに自分自身の想いと願いとになったからでしょう。
  ここ大分の地でも、福音宣教の働きに生涯を捧げた海外からの宣教師の方々の多くの献身的な働きがありました。私たち別府国際バプテスト教会も、そのような宣教の働きが土台となって生まれたと言ってもよいと思います。

  私たちはまず祈りをもって、そして実際の献げ物をもって、遠くの地での宣教の働きをも支えることができます。
 イエス・キリストの神の国の福音が、多くの人々へ、多くの国々へと告げ知らされる、キリストの希望がまだキリストを知らない人々に届けられる働きに、私たちも繋がることが出来るのです。
「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない」~イエス様の、このお言葉を私たち自身の使命ともして、福音宣教の働きに私たちも喜びをもって仕えて参りましょう。