2023年12月23日土曜日

2023年12月24日 主日(アドベント第4/クリスマス)礼拝

招詞  エレミヤ書31章3節
アドベントキャンドルの点火~祈り
讃美  新生讃美歌162番 天なる使いよ 地をめぐり行き
主の祈り
主の晩餐
クリスマス劇 “たいせつなきみ”
献金
聖句 ヨハネの手紙一 4章16~21節
祈祷
宣教 「神の愛に留まる」
祈祷
讃美  新生讃美歌 157番 来れ 友よ 喜びもて
頌栄  新生讃美歌 671番
祝祷

 「神は愛ですGod is love」~今日の聖書箇所の中のヨハネの手紙一4章16節に、このように書かれています。
 「神とはどのようなお方ですか?」あるいは「神とは何ですか?」と聞かれたら、クリスチャンであれば、どのように答えるでしょうか。
 「神とは何か」という問いに対して、聖書は「神は愛です」とはっきりと述べます。
では「愛」とは何でしょうか。私たちは愛を知っているでしょうか。
 私たちは“愛とは何か”を、クリスチャンであってもなくても、知っていると自分では思っているのではないでしょうか。愛とは何でしょうか。それは、他人を思いやり、人に優しくすること。
 自分の利益よりも他人の利益を優先すること。弱い人や困っている人を助けること。そのようなことが愛だと、私たちは考えるのではないでしょうか。

自分がそのような愛の行為を実践できるかどうかは別にして、愛とは何かについて私は知っていると、おそらく私たちの多くは思っているのではないでしょうか。
 ところが聖書はこう断言するのです「神は愛です」God is love. この文の意味は「神は、一つの愛です」とか「神は、他にも多くある愛というものの、一つの形です」という意味ではありません。
 神は愛です~聖書が伝えるこの文の意味は、「神こそが愛であり、愛の源です。私たちが知っていると思っている愛は、全てこのお方を源泉としているのです」というのです。
 つまり、もし神を知らないと言うのなら、愛が何かも分からない、ということになります。
 するとまたもう一つの根本的な疑問がそこで私たちに浮かぶかもしれません。それは「神とは何か?」です。キリスト教の神以外にも、世の中では色々な神々が信じられています。

 そのような“色々な神々”が愛の源だと、聖書は言うのでしょうか。そうではありません。聖書が伝える神は、イエス・キリストを通してご自身を現わされた神です。
 聖書によって伝えられる、イエス・キリストを通してご自身を人に表された神こそが、唯一真の神である、というのが聖書のメッセージです。
 イエス・キリストを通してご自身を人に表された神が、すなわち愛である~これが聖書の伝えるメッセージです。
 クリスマスは、神の子であるイエス・キリストがこの世界にお生まれになったことを記念する時です。キリストを通して、私たちに“神とはどのようなお方か”ということ、そして真の愛が知らされました。
ですから、今から2023年前、イエス・キリストが現在のイスラエル/パレスチナにお生まれになったその出来事は、私たち全ての人間にとっての一大事でした。

 イエス・キリストが、天の父なる神の意志と御計画により、人としてこの世界にお生まれになったことには明確な理由(目標)がありました。
 今日の箇所の前の部分である、ヨハネの手紙一4章9節(1 John 4:9)に次のように書かれています。
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
 「独り子」とは神の子であるイエス・キリストのことです。神が独り子のイエス・キリストを世に遣わされたのは、そのお方によって、私たち人が生きるようになるためだったのです。
キリストによって、私たち人が生きるようになるため、神はイエス・キリストを世にお遣わしになりました。

生きるとは、イエス・キリストを通して示された神の愛を頂いて、神の中に生きるということです。
生きるとは、聖書に書かれた神の言葉を通して神の御心を知り、神を礼拝し、神に祈るという生活の中で、霊的な命を生きるということです。
 私たちはまず、神の言葉を聞くことを通して神のことを知らされます。そして神の言葉に思いを巡らせ、神の言葉から力を頂くという経験を通して、神の言葉が確かに真実だと、信じるように(決断するように)なります。
 そのように神を信じる者は、神の内に(神の愛のうちに)留まろうとします。神の愛の中で生き続けようと、決心するということです。
 神の愛を知らされ、神の愛に留まろうとする人には、神もその人の内にとどまってくださる、と今日の16節に書かれています。(留まる=英語では ”内に住む live in“)
 神がその人のうちに留まって(住んで)くださると、その人からは恐れがなくなります。それが17~18節に書かれています。

17こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。
18愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。

神の愛を信じ、神の愛のうちに留まって生きる人からは“恐れ”がなくなるというのです。
 「裁きの日」とは、信仰者がいずれ神の御前に立たされ、自らの行いや言葉について神から問われ、裁かれる時のことが言われています。
聖書が伝えるその「裁きの日」を、信仰者はいつか迎えることになります。しかし私たち人は、誰も完全ではない、かならず欠点があり、かならず間違いを犯す者です。
ですからどんな立派な人であっても、完全なお方である神の前に立たされた時、裁かれずにはいられないのです。どんな人であっても神の前には残念ながら有罪なのです。
 しかしキリストを信じ、キリストの愛(すなわち神の愛)のうちに生きた人は、キリストが、その裁きを代わりに引き受けてくださったことが分かっているので、恐れなくてもよいのです。

クリスマスは、やがて私たちのために、私たちの罪を赦すために、身代わりとなってその命を捧げてくださった救い主がお生まれになった出来事です。
私たちのために救い主がお生まれになって、その方によって私たちは罪赦され、その方の無限といってよい愛が私たちに与えられたのです。
神のそのような愛を豊かに受けて、恐れの無い、感謝と喜びの日々を私たちは歩み、生きていこうではありませんか。

今日の箇所の20~21節をお読みします。

20「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
21神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。

 神から愛されるとは、素晴らしいことです。神から愛されることほど、私たちにとって幸いなことはありません。
 神が私たちを愛して下さるとは、神が私たちを大切に(尊いと)思ってくださっていることです。
 今日は礼拝の中で「たいせつなきみ You are special」という劇が演じられますが、その中で、木彫りの小人たちの造り主であるエリが言っています。
 「わたしがあなたを造った。だからあなたは私には大切なんだ」~造り主である神が私たちにそう言って下さっていることが、私たちにはなかなか分かりません。
 それを頭では分かっているかもしれませんが、その喜びが本当に心に溢れているかどうか、キリスト者は一度真剣に考えてみたほうがよいと私は思います。

 神がこのありのままの私を愛し、ただ神が私を造ったのだから無条件で愛して下さっているという聖書のメッセージを、私たちは(時間がかかっても)受けとめ、信じていきたいと願います。
 そして、神にそれほどまでに愛された者には、自身の兄弟姉妹(隣人や友人)、他者を愛するという義務がある、と今日の箇所は言うのです。
「目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。

21神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です」

これは私たちには大変厳しい言葉です。

イエス・キリストを信じ、神の愛のうちに留まれば、神の裁きを恐れることがなくなる、と今日の箇所には書かれています。
 しかし神の愛のうちに留まったかどうかは、あなたが兄弟姉妹を、信仰の家族を、そして他者を愛したかどうかで判断される、とも今日の箇所は言うのです。この言葉を前に、私たち誰もが大変厳粛な思いにさせられます。
 しかし、私たちの神は、私たちができないことをしろと、お命じになる方ではありません。神は私たち自身の中に、愛がないことはよくご存じです。
 ですから神は御子イエス・キリストを、キリストの愛を私たちに与えてくださいました。私たち自身ではなく、キリストの愛をもって、きっと私たちは自分以外の他者を愛することができるのです。
イエス様を私たちは信じ、イエス様から頂く愛によって、自分以外の他者をも大切にする、まず小さな一歩を、私たちは踏み出したいと願います。

 節の順番が前後しますが、19節に次のようにかかれています。

19わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。

 神がまず(最初に)私たちを愛してくださったのです。ですから私たちも愛することができる(できるはず)、その一歩を踏み出すことができるはずだ、と聖書は告げるのです。
 神がまず私たちを愛し、私たちに全てを与えてくださいました。それがクリスマスの出来事です。神の御子イエス・キリストが私たちのためにお生まれになりました。
 キリストによって罪赦され、神の前に(人の前にも)恐れなく、神の愛のうちに留まりつつ、兄弟姉妹、他者を愛そうと努力しつつ、信仰の日々を歩んでまいりましょう。
クリスマスの恵みを私たちは、心から喜び感謝したいと願います。