2023年12月17日日曜日

2023年12月17日 主日(アドベント第3)礼拝

招詞  哀歌3章22~24節
アドベントキャンドルの点火~祈り
賛美  新生讃美歌 153番 エッサイの根より生い出でたる
主の祈り
献金
聖句  ペトロの手紙一 1章3~9節
祈祷
宣教 「言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ち溢れて」
祈祷
賛美  新生讃美歌 16番 み栄えあれ 愛の神
頌栄  新生讃美歌671番
祝祷 


神の御子イエス・キリスト、わたしたちの主であるイエス・キリストの誕生を待ちわびる待降節(アドベント)第三主日の礼拝を私たちは今日捧げています。
礼拝の始めに三本目のアドベント・キャンドルに火が灯され、祈りがささげられました。三本目のろうそくの火の意味は“喜び”です。
クリスマスは全ての人々にとっての、大きな、真の喜びです。しかし私たちは、戦争状態の中に置かれていたり、災害に見舞われたりして、命の危機に日々さらされている人たちが世界には多くおられることを知っています。
クリスマスを平和の中で迎えることができない、多くの人々のことを覚え、わたしたちは祈りを捧げたいと願います。私たちは、人と人との間の争いと憎しみが、一刻もはやく止みますようにと、祈ります。

キリストは、憎しみと争いのある、邪悪な考えと思いで満ちた私たちの人間の世界の現実の只中へ生まれてこられました。
そのお方を通して、“神とはどのようなお方であるか”がはっきりと示されるために、キリストは人としてお生まれになりました。
今日の聖書箇所(ペトロの手紙一1章3~9節)の最初の1章3節は次のような願いと祈りの言葉で始まっています。

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。
この言葉は、キリストを信じる信仰者に与えられた、大きな喜びの言葉であり、私たちに大きな力と希望を与える言葉です。
神は私たちに言葉を発する口を与えてくださいました。神は私たちに言葉を与えてくださいました。神から与えられた口と言葉で、わたしたちは「神がほめたたえられますように」と願い、祈ることができるのです。
 私たちは罪を抱えた人間です。ですから常に、神の栄光ではなく、実際には自分自身の栄光を求め、自分が人から讃えられること、評価されることを望んでしまいます。
 わたしたちはどうしても、他人との比較によって、優越感に浸ったり、また逆に劣等感にさいなまれたりします。
しかしキリスト者は、イエス・キリストの神によって、自分が愛されていることをしっています。

神の愛を知っていますから、わたしたちは他人との比較で自分の価値を評価する必要がないことを知っています。
自分がほめたたえられる必要はないのです。この世界をお造りになり、この私をもお造りになり、そしてこの私を愛して下さる神こそがほめたたえられますように、と私たちは心から願うのです。
ただ神を見上げて、神がいつも与えてくださっている恵みに感謝をして、心から「栄光はただ神にのみありますように」とわたしたちは願います。
 新型コロナウイルスによる感染症拡大以来は特に、多くの教会で、教会に集う人の数、教会員や財政の減少にも苦しんでいます。教会が閉鎖される、という話も私たちは聞きます。
そんな中で私たちもやはり、“これから私たちの教会はどうなってしまうのだろう”と、心配になることがあると思います。
私たち別府国際バプテスト教会も、礼拝出席者数は、コロナ前に比べて、今はほぼ半数に減ってしまいました。
特に海外出身の方々が多く集う私たちの教会に、感染症防止対策のための、国への入国禁止(制限)措置は、それまで全く予想もしなかった大きな影響を与えました。
今、ようやく感染症拡大以前の形へと戻りつつます。(対策をしつつの新しい形というべきでしょうか)

しかし、今日も聖書からわたしたちは確かな希望を頂きます。どんな状況の中でも、やっぱり“迷うことはない”と私たちは聖書の言葉によって励まされるのです。
それは、どんな状況の中でも、私たちは「わたしたちの主イエス・キリストの父である神」を褒めたたえる、賛美、礼拝することができる喜びがあるからです。
わたしたちが心からイエス・キリストの神に感謝し、キリストにだけ栄光がありますように、神にすべての栄光をお返しします、という気持ちで一致をするならば、
たとえわたしたちの目には少ない人数であっても、わたしたちが心から賛美し神を喜ぶのならば、神はますますわたしたちを祝福し恵みを与えつづけてくださるでしょう。
そしてそれが神の御心ならば、教会に集い新たに神を信じる人々をも、きっと神が神ご自身の御業としてこれから起こしてくださる~そのように、わたしたちは希望を持つことができるのです。
ですから私たちは、根本のところで、迷う必要はないのです。わたしたちがあがめ、讃美をするお方は、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神」お一人であることがはっきりしているからです。

この“わたしたち”には、今こうして教会に集うわたしたちだけではなく、クリスチャンの方、またクリスチャンでなくても全ての人を含みます。
なぜなら主はお一人だからです。唯一真の神はイエス・キリストの父なる神のみであるからです。
この世のものが、どれほど素晴らしく、たとえそれが神のように見えるものがあっても、真の神はイエスキリストの父である神、お一人です。
今教会に集う人は少ないかもしれません。しかしそれでも、“世界のあらゆるすべての人々が、イエス・キリストの神を褒めたたえる日が来ますように”、“あらゆる人々が真の神を見いだすことができますように”という大きな願いも私たちは持つことができるのです。
それは素晴らしい願いではないでしょうか。それはただの絵空事ではないのです。わたしたちは“あらゆる人々がイエス・キリストの神を褒めたたえますように”というその願いを、確かな(確実な)希望に基づいて持っているからです。

3節の続きに次のように書かれています。
神は豊かな憐みにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、

神はわたしたちを新たに生まれさせてくださいました。キリスト者の皆さんは、キリストを信じて生まれ変わったという自覚がありますか?新たに生まれたこと、新生の喜びがわたしたちにはあるでしょうか。
わたしがバプテスマを受けたとき(語学留学中にアメリカの教会で私はバプテスマを受けました)、教会の方が礼拝の後に、ケーキでお祝いしてくれました。
そのケーキの上には”Tomo, Happy Birthday in Jesus”と文字が彩られていました。それを見て、“わたしは、キリストの中で新たに生まれたのだな”と、改めて思わされ感激しました。
わたしたちがイエス・キリストを信じるということは、新たに生まれる、新しい命をいただく、ということです。

今日の同じ章、1ペトロ1章23節に次のように書いてあります。
 あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。

 ここにどのように私たちが生まれ変わるかが書かれています。わたしたちは神の変わることのない生きた言葉によって、新たに生まれるのです。
確かに神の言葉(聖書の御言葉)はわたしたちを生まれ変わらせます。神の言葉が私たちの心の中に宿る時、御言葉によって力を与えられる時、わたしたちはその度に新しい自分に生まれ変わっているのです。
こうして礼拝で私たちが神の言葉を分かち時、私たちには喜びで満たされます。
そうすると私たちは自分ではなく、“この喜びを与えてくださるイエス・キリストの父である神のみがほめたたえられますように”と心から願う者に私たちは生まれ変わらされるのです。
神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれる~そのような豊かな信仰の日々を私たちは生きることができるのです。

今日の箇所の最後の節である8~9節をお読みします。
8あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。
9それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

 この手紙を書いたのは、イエス・キリストの一番弟子であったペトロです。ペトロはイエス様と共に生活をし、伝道活動を共にした人でした。
 “自分も捕まるのではないか”という恐怖に襲われ、捕まってしまったイエス様のことを「あんな人は知らない」と言って、ペトロはイエス様を見捨ててしまいました。
  それでもペトロは復活したイエス・キリストに出会いました。復活したイエス様はペトロと他の弟子たちに、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:19)と命じられました。
  復活のイエス様に出会ったペトロ始め弟子たちは、それから力と喜びに満ちて宣教をしました。
今の私たちは、ペトロのように、生きている時のイエス様、そして復活したイエス様に直接会い、そのお体を直接見ると言う経験はしていません。

 しかし、それでも今の私たちに与えられる喜びは、生きている時のイエス様と復活のイエス様を直接見たペトロ達(弟子たち)の喜びにも決して劣らない、大きな喜びだと、今日の箇所は伝えます。
なぜなら、私たちは「キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれて」いるからです。
目には見えませんが、聖霊の導きによって、神の言葉が生きる命の言葉となった私たちの心と魂に入って来て、私たちを内面から“言葉では言い尽くせないすばらしい喜び”で満たしてくれるのです。
 イエス・キリストが私たちと共におられ、私たちを支え導いてくださり、辛く悲しい時にも豊かに慰めてくださる~そのような確かな救いを私たちは頂いています。
 私たちは毎年クリスマスをお祝いし、御子イエス・キリストの誕生を覚え、感謝の心をお捧げします。
それは、ある年間行事をただ繰り返す、ということではありません(そのようにしてはいけないのです)。私たちは毎年、そして日々キリストによって与えられる、”言葉では言い尽くせないすばらしい喜び”を頂きながら、その喜びで満たされるのです。
それほどの大きな喜びがキリストの信仰によって私たちに与えられていることを感謝し喜びつつ、今週の日々も私たちは歩んで参りましょう。